芭蕉
大辞林による、芭蕉 ばしょう 松尾芭蕉(1644-1694) : 江戸前期の俳人。伊賀上野の生まれ。
深川の芭蕉庵に移った頃から独自の蕉風を開拓した。
「奥の細道(*1)」の旅の体験から、不易流行(*1)の理念を確立し、以後その実践を「細み」に求め、
晩年には俳諧本来の庶民性に立ち戻った「軽みの俳風に達した。俳諧を文芸に高めた功績は大きい。
「行く春や鳥啼魚の目は泪」
「野ざらし紀行(*3)」「笈(おい)の小文(*4)」「更科紀行(*5)」「おくのほそ道(*1)」など。
芭蕉は木曽義仲を大変好きであったのです。芭蕉の墓も義仲の傍にあります。
芭蕉は伊賀上野の生まれであったから、芭蕉の江戸幕府の忍者説が生まれたのですが、
後の創作でしょう。義経のヂンギスハーン説と同じ様なものでしょう。
*1)奥の細道 : 俳諧紀行。松尾芭蕉著。1694年素竜清書。1702年刊。1689年3月末、門人曾良(*6)
を伴い、江戸深川から関東・奥羽・北陸の諸地を巡って美濃の大垣に至り、さらに伊勢
の遷宮を拝もうと、9月6日に大垣をたつまでの紀行文。
書名は仙台の章の次に「おくの細道の山際に十符(とふ)の菅(すげ)有」とあるによる。
*2) 不易 ふえき : いつまでも変わらないこと。不変。「不易流行(ふえきりゅうこう」)とは、俳諧
の特質は新しみにあり、その新しみを求めて変化を重ねていく「流行」性こそ
「不易」の本質であるということ。
*3)野ざらし紀行 : 俳諧紀行。1685〜87年刊。松雄芭蕉作。1684年秋、門人苗村千里を伴い
江戸から伊賀に帰郷し、吉野・山城・美濃・尾張などに遊び、翌年尾張を経て木曽路に
入り4月江戸に戻るまでの旅の紀行。蕉風樹立への意欲が見られ、
俳諧修行の旅であった。甲子吟行(かつしぎんこう)。
*4)笈(おい)の小文 : 俳諧紀行。松雄芭蕉著、門人河合乙州(おとくに)編。芭蕉没後、1709年刊。
1687年江戸から尾張の鳴海を経て弟子の杜国を訪ね、伊賀・伊勢・吉野・奈良・大坂・須磨
・明石をめぐった旅の紀行。「野ざらし紀行(*3)」から「おくの細道(*1)」に至る中間的な
性格を示す。
*5)更科紀行 : 俳諧紀行。松雄芭蕉著。1688〜1689年刊。「笈の小文(*4)」の旅を終え、京都から
尾張に至り、木曽路を経て姨捨山(おばすてやま)の月をめで、江戸に帰る間の紀行文。
*6)河合曾良1649〜1710 : 江戸前期の俳人。信濃の国上諏訪生まれ。芭蕉門。「鹿島紀行」
「奥の細道(*1)」の旅に随行、温厚篤実な性格で芭蕉によく尽くした。
著「奥の細道随行日記」「雪まろげ」→木曽義仲→良寛、小林一茶、芸術、⇒

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